ラテン語あるいは漢文のように学ぶ英語

ちょっと前に流行ったツイートに、『ラテン語を学ぶように英語を学ぶからしゃべれないのだ』と主張するかのようなツイートがあった。頼むからラテン語のようにまともな発音をしてほしい、英語訛りを世界中に押し付けるな、つづりに発音を合わせろと思うのは置いておいて、一学習者の自分からしても腑に落ちるところがある。

 

要するに文法などに拘泥するあまり、発音やスピーキングの練習が足りていないというのだが自分は読解偏重の旧来の英語教育を受けられて良かったと思っている。というのも喋れたところで使い道がないのだ。

 

元から中高も大学(学部?)でもそれこそ英語の講義以外は日本語でほぼほぼ完結し、英語好きでレジュメが英語な先生でさえ講義は日本語である。

ただ論文は英語で書かれていることが割とあるので読めるとうれしい。普段使わないゆえに読むのが遅いので、適当な翻訳サイトに突っ込むにしても意味が通らないところを補完するのに原文の英語を読めるほうがよい。

論文以外でもredditを見たりゲームのアプデ情報を有志の翻訳前にいち早く見たりするのに読解スキルは役立っている。英語帝国主義がインターネットの世界でよく広がっていて受け入れざるを得ない部分はある。

 

だが、英語を書けて、聴けて、喋れることで得したこと、逆にそれらができないことで損したと自覚したことは全くない。将来英語を使う仕事に就きたい人が特殊技能として学ぶならまだしも、こっちにまで押し付けてくるなと反発してしまう。

 

何せ、生活上で日本語を解さないが英語を使える外国人と接することがほとんどない。もちろん、日本人で日本語の言葉が通じない人も少ない。(話が通じないことはある)特にここ2年は国際交流がほとんど止まっているのでただでさえ強かった国内志向がさらに強くなった自覚がある。その割に英語教育の潮流が会話に寄せているので、時代に取り残されているような感覚さえある。本当はラテン語や漢文のように読解重視の英語教育を受けたいものだが、仕方がないので単位取得のため頑張るとしようか。