排除と利便性

今の世の中では、うまく大義名分を仕立てない限り人間を排除してはいけない。その大義名分が立つのも未成年と反社くらいか。それにしても反社は反社であるがゆえ社会側も反反社になるのは納得だが、あらゆる所に排除を目指すポスターが張られて抗議のひとつも起きない現代の非差別階級である。まあそれはいい。逆にそれ以外ではモノやサービスに等しくアクセスできるよう努力がいろいろとなされる。

 

多様な他者が包摂されるのが善であり、より多くの人が享受できることが便利だと考えられる現代において、それでも排除こそが利便性をもたらしている場合も存在する。

 

例えば自分が今いる医学部など、フリーアクセスにして誰でも既存の学生と同じかたちで講義に参加できるようになれば大変なことになる。あまり拡張可能性のない運営なので大学当局がパンクしてしまう。通信大になって病院実習までもオンラインで済むようになれば別だが現状はそうなっていない。医業の神聖性を全部削ぎ落して極端なことを言えば、専門職労働者の育成機関という利権にありつくには選別を突破せねばならない。

 

電気水道などは他の誰が隣で使っていようと知ったことではないが、その隣人が1m足らずの拳骨が届く範囲にいる場合は気にせざるを得ない。都市部で公立中を嫌う動きがあるのはよりよい教育を求めてのことだが、その中には隣に座る人間が同じくコストをかけられて選抜されたものであることを望む部分もあろう。

 

そうでなくとも、例えば高い運動能力を持たないと居れない場、数年来の仲間内の場、独自の専門用語が通じる場といった排除の働く所では余所者がいないので、えてして円滑にコミュニケーションが進み快適なものである。

現代的な包摂はここ数十年の物であり、差別や排除の方がずっと長くやっていたのだから排除を自然なものだと思うことは多いが、それでも現代人としてそれを堪えて進歩していきたい。

 

 

 

スマートウォッチ

一昨日買った安物の中華スマートウォッチが今日届いた。早速充電してつけてみたのだが、センサーの質か大きさの限界かで精度があまりよくない。体温などはいかにもそれれらしい値を出してくるのだが、心拍数の検出精度がボロボロである。

 

心拍数なんてのは親指側の手首をガッシと掴めばわかるもので、自分だと平常時で80程度、有酸素運動などすると160とか70とか平気で出るのだがこいつは上限110程度しか出さない。

 

それに運動時間を記録する機能もついているのだが、明らかに実運動時間より短い。これはタッチパネルの感度が良すぎて、途中で中断の操作をしたことになってしまっていたらしい。気をつけねばなるまい。

 

運動強度の指標となる心拍数、運動量の基礎の基礎である時間、あとついでに距離の算出までおかしいとなると望んでいた運動量の記録という機能は全く果たせないこととなる。所詮手首からの情報によるしかないから精度に限界があるのは知っているがあまりにあんまりである。

 

お高い林檎屋の時計なら多少は解決されるのだろうが、林檎を使うなら身の回りの電子機器を全部林檎にして交流する相手にも押し付けるくらいでないと逆に不便なのでやめておく。

エア入れ

今日は数日ぶりにジムへ行った。ちと遠くて、山の方にある(高槻市にはもう1つ本丸のジムがあるがもうちょい遠い)ので自転車で行くにも少々難儀するような所である。

 

だいたい道中で水やタオルの調達などして上りの片道は40分くらいかかるのだが、上り坂とはいえいくら何でも遅すぎると感じていた。地図上の直線距離でいえば歩きの速度といえるような速度である。かといって急な坂の部分では自転車をこぐのを手抜き、足抜きか、しているわけではない。

 

そこでふと思い立って自転車のタイヤをつまんでみるとこれがまあ柔らかい。ペコペコしている。大気圧とそう変わらない感じだ、これでは無駄に労力がかかって仕方がない。早速手押しポンプで押し込んだ。

 

するとまあ走りやすいこと走りやすいこと。自動車やバイクの類の空気圧は重要視されるが、あれはゴムがごついこともあってかそうそう圧が抜けない。チャリのはペラペラなのと、補充しやすいつくりになっている栓があることからすぐに圧が抜けるようだ。その割に即座に事故とかに繋がるわけでなくただ燃費が悪くなり、チューブが消耗するくらいなので注目されにくい。

 

安全カミソリなんかも刃を替えると面白いように復活する。やはりメンテナンスや消耗した品の交換は大切なようだ。