県境ぴょんぴょん

人生の半分近くを県境を日常的に渡りつつ過ごしてきた。といっても京阪神の平地での話ではあるが。11歳から塾の為京都に、13歳からは学校の為兵庫に、19歳からは再び京都にである。京阪神の軸であるところの新快速に乗って、京都との県境...というより府境は5分、神戸との府県境は20分くらいと実質近所としかいいようがない。下手に同じ高槻市の樫田の山の方とか、同じ大阪府で隣の枚方市の方が時間がかかるくらいである。

 

今は小康状態だが去年からのコロナ禍で、県境を不用意に渡るなとよく言われたが、日常的に越えてきた自分には違和感が強かった。おそらく東の方に住む人も同じことを思った人が多いだろう。

 

御所のすぐ横の我が大学では近場でアパートなり学生寮なりをとる選択肢がかなり現実的になるので通学圏がやや狭く梅田近辺くらいが限界のようだが、それでも県境を1つは越えて通学する人間が少なくない。

 

行政の管轄が異なるから県境は実際は大きな意味を持っていて、そう感じている人も多いけれど、主要な県境が平地かあっても小さな川で電車も高速道路の車もビュンビュン通っていると今一つ心理的な境にならない。

 

それよりは淀川の方がよほど心理的な境である。電車で渡る梅田はともかく、淀川を越えた先の大阪との心理的距離が遠い。岸和田も東大阪も和泉も行ったことがあるがどれも神戸や京都より異国である。というか淀川を渡る橋、高槻の南端の一つ北がもう大山崎っておかしいだろう。早く間に橋をくれ。