インターネットにつながる権利

基本的人権というものは、技術が進歩して世界全体として豊かになるにつれ拡張してきた歴史がある。そして2020年代初頭の現在、インターネットにつながる権利というものが次第に認識されつつあるように思う。1000年代末から次第に普及してきたものが、今ではどこでも誰でもパームトップなスマホを繰っているようになった。7年前くらいから既にそうだろうか。

 

21世紀はバイオの世紀などと言われていた頃もあるが、その5分の1を過ぎた今考えるとバイオというよりネット(の普及)の世紀に見える。勉強にもネット、学校の連絡もネット、仕事にもネット、仕事に行くための通勤にもネット、仕事を探すにもネット、調べ物にもネット、出会いもネット、買い物もネット、だいたい何でもネットである。

 

ここまでネットが浸透すると、それに接続できない人間は生活上あまりに多大な苦労を背負うことになる。新しいものが嫌いで旧い人間関係の中で生きているような人間であっても、その人間関係が、特にここ2年は物理的に対面してよりラインの中で展開されるようになったからどうしようもない。

 

最近は日雇い稼業にもネット環境が必要である。メールアドレスを取得してそれを登録してパスワードはちゃんと頭に入れて、条件や文字を入力して検索してようやっと倉庫や引越しなどの仕事のリストが出てくる。これができない、あるいはわざわざネカフェに行かないといけないようではあまりに大変である。

 

仕事でコンピューターを使う人たちの間では『メモリ8GBは人権』などと、つまりはスペックの低い端末では仕事にならない、人権侵害も同然だ、と半分お遊びで言うこともあるが、仕事用でなくとも一定の性能を持ったコンピューターでネットにアクセスすることを基本的人権に含める話を始める頃ではないか。要はエアコンのようなものである。昔は無くても生きていけたかもしれないが、今は少なくとも社会的な、生活に必須のものである。