ほどよい体重

自分の体重は2kg幅くらいの短期的な上下こそあれ中1の時に40kg少々だったころから年6kgペースで止まることなく増えて、今は96kgくらいを基準の体重としている。

年6kg、月に500g増えるにつれ自分の筋肉や骨に内蔵その他がその重みにゆっくりと適応していく(10年単位の長期的なダメージは蓄積し始めている)ので今まで体の不調を覚えることはそこまでなかった。せいぜい外食代が増えたり、ズボンが破れたり、ある種の人付き合いに自信を失う程度である。

 

あと走ることもできなくなった。肺が体と同じ割合では大きくならないので呼吸機能のほうがついていけないらしい。電車が来るのに合わせてホームを50mのたのたと走るのが精いっぱいである。荷物と合わせて0.1tの物体が高速でカッ飛んできたら怖いだろうから丁度いい。

 

自分の体の変化を人智で覆せない当然のものとして、1946年日本や1920年ドイツ、あるいは1930年代ウクライナ辺りなら別だが21世紀日本では当然のものとして粛々と受け入れてきたがここにきて不定愁訴的な言語化しにくい異常を覚えるようになった。どうやら増体に適応する能力が枯渇してきたらしい。思い返せばちょくちょく行っている献血での数値も悪化してきている。体重を2桁kgに押しとどめる決意をした。

 

思うに油を運動で『燃やす』というものは非常に効率が悪い、あるいは燃費がいいもので、純粋な内燃機関の車でさえ1tの図体を1Lのガソリンで10km転がすくらいは平気でやる。1時間走りこんでも(膝のダメージが恐ろしいことになる)燃える油は2桁gぐらいだ。基礎代謝がどうとか習慣化がどうとか色々理屈はつけられて悪いものではないが。

 

『燃やす』というからにはものを温めることで、つまりは体を冷やすことで空費させようと試みるのも厳しい。身近で安価で無害な冷却材といえば真っ先に氷が思い浮かぶが、家庭用冷凍庫に500mlの水を突っ込んで冷凍し、小脇に挟んで体温くらいまで温めたとして計算は省くが燃える油は10gに届かない。鶴瓶の麦茶の量でようやくである。この初夏と言い張れる時期には心地よいものではあるがこれまたメインの手段にはしにくい。

 

水風呂なんかもなかなか冷えてよいが、あれは体表に水の膜ができて熱交換の効率が落ちるらしい。水での熱交換は対流してナンボなので極薄の膜でも断熱できてしまうそうだ。

そもそも空気中の酸素を使って燃やす都合、呼吸が荒くなるくらい冷たい水に浸かってないといけないので厳しい。何か暇つぶしのものがあればいいのだが。カメラの無い防水耐熱の、ネットサーフィンができるお風呂用スマホスーパー銭湯でレンタルできないものか。厳しいだろうなあ。

 

となると、自由診療での胃切除などの根本的手段を取らない限り食事制限がメインになる。おにぎり一個200kcalで脂肪換算20g、こんなに易しいことはない。以前は本能に逆らえず易しくないぞと考えていたが、最近は空腹時に当然起こる悪心も控えめで気持ち程度に摂取カロリーを減らすことができている。GWじゅう食事量を多少減らすことに成功すれば目方も変わってくるだろうか。

 

余談:特殊な下剤で油の消化を抑えてそのまま下に流す手段もある。体脂肪を溶かして流すなんてのは嘘くさいが、吸収を阻害してスルーさせてしまうのは分かりやすい。うっかりすると色々犠牲になるが家籠りの多いこの2020年代にはやりやすくなった。