弱くても...

小学6年の冬、受験が終わって実質的な春休みを登校しながら過ごしていた時に体育の授業でバスケをやった。人間10年も生きているとそれなりに分化してくるもので、放課後や休日にスポーツクラブに行っている人と学習塾その他に行っている人とでは立ち回りが大きく異なってくる。自分は当時痩せぎすで、体育ぐらいでしか体を動かさないので大層鈍かった。

 

その時は40人に少し足らない程度の学年を4分割してチームを作り、8~9人の中から前半中盤後半で各5人をコートに送り込む、クラブの試合でも使われているらしい形式であった。当然主戦力になる人を5人ずっと繰り出せば済むことであるが、誰もが1回は出て、3回出る人がいないようにとのお達しである。

 

強い人を2回しか出せないとなれば、中盤に体力回復のため引っ込むのが道理だ。その中盤に放り込まれたのだが、動ける戦力になる人の手当が全くなく攻め込める戦力不在の編成であった。

たかが授業とはいえそれを決めた人に真意を問う。これでは点を取られ放題だと。すると、主戦力でない人や下の学年の人を集めて動いてもらう回を作る慣例があるという。確かに、強い人がいれば自分のようなのは依存して動きが悪くなるため理に適っている。それを言うと、その意図はなく単純に楽しんでほしい為だとのこと。恥じ入った。

 

それに実際やってみると、野球の類のように個人の技量がないと相当厳しいものと違い、存在して壁となりボールを受け渡しできるだけで多少戦えるバスケでは案外どうにかなる。相手側の中盤はそれなりに強い人たちで、こちらに攻撃できる人がいない分不利だが一定の時間を凌げた。スタミナの差で暫くすると点を譲らざるを得なかったものの、大過なく主力勢に繋ぐこととなった。

 

それに、学校体育とはいえ防衛戦を戦うのも楽しかった。向こうの攻め手に2人がかりで牽制してもらったり、とりあえず敵のゴールの方に遠投したりと最初から攻めを放棄すればスペック差があっても色々できるものである。

むしろ主力勢の中に混ぜられていたら、彼らが攻めている間は多少のバックアップをする程度で、攻められるときも主力が動くので比較的つまらないものだっただろう。というよりこの時が特別楽しかった。『楽しんでもらうため』との説明も全然嘘ではなかったのだ。弱くても勝利条件が適切なら戦える。