ダブルリミテッド

一時期、神戸某所で外国ルーツの中学生にボランティアで勉強を教えていたことがある。塾と名前の付くところを見つけて毎週来ているからには意欲はあるのだが、どうにもやりきれない部分があった。

 

中には向こうの国で小学校にある程度通ってから日本に来た生徒もいて出身国の言葉もそれなりに話せるのだけど、それも日本語も英語もその年らしい水準には達していない。この現象にはダブルリミテッドとの名前がついている。

 

日本で中学生をやっているからにはどうしても高校受験が目に入るが、ルーツによらずに科目は限定されるにしろ公立では一律の問題が課される。兵庫県大阪府と違って難度別問題を用意していないので本当に一緒である。

 

兵庫県の高校受験には古文が出るのでそれの指導を、となった時があるが現代語訳しても意味を理解しにくい。文化、あるいは文脈のようなものも共有度合いが小さい。英語も一緒で英語を直接理解する前に日本語訳を通じて意味を覚えるがそれも厳しい。

 

出身国で一通り教育を受けて母語を確立していればそれに翻訳して理解もできるが訳す先がない。そこの塾長からは『ここが居場所になるように』と教えられていたのでそれを優先して過ごしたのだった。