受験バトル能力

自分がtwitterで活動するにあたり、意図していることを明確にするため造語をすることがある。『かわいそうランキング』ほど簡潔かつ明確で印象的なものを作るのは難しいが、失われた30年という一般的な用語を茶化すのに『得ていた40年』なんて言ったりする。

 

時々使っている『受験バトル』もその一つである。検索すると小林先生が書いた漫画の、受験ものと称しながら暴力で対決するのが出てくるが、自分はこの語を、相対評価で少数でも予定調和でない不合格者が出る試験として使っている。

 

この造語は倍率を俗っぽく説明するやり方が元ネタである。例えば5倍なら自分の前後左右の人を叩きのめせば受かる、1.2倍なら4人で組んで1人倒せばお釣りがくる、などとケンカみたいな例えが印象に残っているのだ。

 

また、スポーツや音楽など他の課外活動と同列に扱う意図もある。塾の長時間拘束が批判されることは日常茶飯だが、本気でその道を究めようとする人が少年クラブや音楽教室で朝から晩まで打ち込むのとそう変わるものでもない。勝つと嬉しいし利益もあるので、受験バトルの場でこれまでの人生の大半を突っ込んで鍛えているに過ぎない。

 

また、勉強ができることを「頭がいい」ということについて、社会への適応能力ともいえる「頭のよさ」と受験バトルの能力はやや異なるので混同を避ける意図もある。受験バトルが上手いと将来の選択肢が広がるとはいうものの実際は増えた差分以外から選ぶことは憚られる。その差分にいいものがあると信じて鍛えて乗り越えてきたものの、トラックの運転手になる選択肢はだいぶ前に実質消えたな、と思う時もある。

 

文章がとっちらかったので忘れて思い出したころに推敲する。