【medu4】良問を探す

良問を探す | medu4でゼロから丁寧に医学を学ぶ

 

先日にもブログに書いたが試験準備のためmedu4を再び触り始めている。またmedu4以外のレジュメなどで勉強する時に、特に新しい発見が今でもある分野では「どう覚えておくべきなのか」が今一つ掴めないことがある。

 

そんなときは調べ学習のソースとして冒頭のリンク、medu4の『良問を探す』のページを使うことが多い。良問を探すというお題目だが、悪問も探すことができて優秀である。過去問が20世紀のものも含めてデータベース化されていて数百問の新問題を新たに作らなければならない都合上、書いてある個数以上の正解がある問題や必修問題(より高い正答率を取らなければならない問題群)にしては難しすぎる問題、また単純に不適切とされた問題など数こそ少ないが色々とある。

 

しかしほとんどの問題とその解答は厚労省の統制が強く効いている保険診療の場で広く合意が取れているものと考えてよく、当座の単位を取るにあたって覚えるべき内容と大きな隔たりが無いのでそのまま覚えれば通用し近い将来にも役に立つ。

 

大学受験で言えば中3から大学入試の過去問を触っているようなものだが、今の臨床医学を終えてしまえば系統的に再学習する機会なぞ設けられていないので国試にあたることは妥当である。そもそも試験問題が国試から題材をとることが多く、これを演習しきってしまえば必要十分の余裕をもってはっ倒せそうである。

神経ユニット

大学の試験で、神経ユニットというものがもうすぐある。神経ユニットの名の通り神経の色々を、特に中枢神経の脳や脊髄に関する異常を内科外科病理3分野あわせて学ぶのだ。

 

これの試験が半月後に迫っているのだが、単体の科目として相当以上に辛い。やることが複雑に過ぎ、イメージが難しいのだ。どうにも丸暗記というものが苦手で意味と結びつけないとうまく覚えられない我が身にとって中枢と末梢の関係や、信号が伝わる伝導路の理解しきれないでいる現状が非常にまずい。

 

これが例えば、今同時並行で進めている消化器ユニット(消化器を扱う)なら話は簡単である。胃酸の影響やら基礎医学で叩き込まれた発がんの話とか、あるいは狭窄で通りが悪くなるとかの話はかなり想像が易しく、とりあえず当座の単位を取る程度ならそれなりの量暗記する程度の苦労で済むようだ。

 

国試どころかCBT(固有名詞)よりも前の段階でさえ相当の難度を誇り、先輩方も相当苦戦してきたという脳神経の領域であるが進級の為には何とかするしかない。とりあえずmedu4の過去問演習セットを作成する機能で国試の、当該分野の正答率7割以上の問題を集めてみた。授業の隙間などにちょくちょく進めようと思う。

骨折(6歳末)

6歳の1月に右手薬指の根元、基節骨を折った。私は生まれが4月半ばと極めて遅いのでまだ幼稚園生であった。

 

家でよそ見をしながら階段を降りていたところ、転げ落ちて変な方向に手をついてしまったのだ。2500日ほどの中で、帝王切開だったので生まれた時から合わせて一番の痛みだったのでそれはもう盛大に泣いた。針仕事を早々と切り上げた親に連れられて近くの大きな愛仁会高槻病院に行った。

 

少し待たされてから曲がったのを戻す整復(これはこれで相当痛かった)を受け、石膏のギプスで中指まで固められた。右利きなので箸をまともに持てず、スプーンでご飯を食べる生活は中々辛いものがあった。

 

ただこれはまだ6歳の時で良かったといえよう。歩いて行ける幼稚園に自転車で行くこともなく、たまに友達の家に上がるほかはコロナのコの字もないのに(SARSは確かあったが)親無しでの外出機会がなく、そして何より鉛筆も携帯も持つ必要が無かった。

 

しかし、時期にせよ後遺症が無かったことにせよ骨を折ったにしては極めて幸運であった。これが鉛筆を持たないといけない小学生の時や特に受験期だったら学力に相当支障をきたしていたし、自転車と風呂以外は常にスクリーンタイムの中学以降では大層退屈な思いをしただろう。スマホはなんとか触れてもPCを片手で扱うのは無理がある。

 

これの再来が怖いので、今では階段を降りる時は必ずスマホをポケットにしまい、スマホを眺めたくて仕方ない時は座っていざり降りている。

 

 

ステルス脱水

ここ最近たまに労働に行くほかはずっと家にこもっている。夏休みの期間が明けてから1週間ほどするが、我が妹も高校で陽性者が出たとかどうとかでちょくちょく学校が閉まるらしい。

 

そういうわけでリビングには遠慮してあまり寄り付かず、自室でのんびりとSRPGやらEU4やら懐かしの無料ゲームやらして遊んでいた。するとそれに熱中してしまうこともあり、食べ物もそうだが水分の摂取がおろそかになる。試験まで3週間もないのにのんびりしている事には触れないでいただきたい。

 

といっても冷房と除湿器をしっかり吹かして過ごしているので熱中症で倒れるようなことは無かった。それに気づかされたのは今日昼頃、なんとなく家に置いてある経口補水液OS-1を遊び半分で飲んだ時である。

 

OS-1は食塩の濃度を0.3%ほどと、スポーツドリンクより3倍濃く作ってある。なので水気が足りている時はしょっぱく感じてあまり飲めないのだという。

それなのに今日は戯れに飲んだOS-1がスルスルと喉を通りあっという間に500ml一本を空けてしまった。後から、急速に水が吸収されていることを感じさせる変な感覚が腹にあったものの、飲んだ後はむしろ気分よく遊ぶことができた。知らない間に脱水(傾向)を起こしていたのだ。

 

自分のことは自分でよく把握しているつもりでも、特に積極的なセルフチェックをしない場合では思わぬ見逃しがあるものである。

虚無の期間

仮にも21年と5カ月ほどを生きてきて楽だった時もあれば苦しかった時も色々とあった。そのうちの辛かった時というのは色々と思い浮かぶが、その大半は課せられたタスク量が主因である。ただそれ以外で苦しんだ時期が2週間ほどある。2年半前、大学の2次試験後合格発表が出るまでのことだ。

 

思えば3歳の末で幼稚園に通い始めてからずっと教育機関に属していなかったことは無かった。中学入試の時は翌日に東大寺学園を受験する昼休みの間に合格を知らされたのだから所属が未確定の期間は1日ほど、その間も東大寺の試験で頭がいっぱいだった。

そもそも小学校の卒業をしていない上に絶対に嫌であったが義務教育として近所の公立中に進む選択肢もあり、今後も教育機関へ所属し続けることが確定していた。

 

翻って大学受験の時は、高校の卒業式をもう終えてしまい3/31までは一応高校生とはいえ放り出されることが決まっていた。センターや二次で失敗した部分ばかりが脳裏に浮かび、浪人するにしても性格上学力を維持できる自信が全くなかった。

浪人で学力が伸びる現象は現役時に演習を積みきれない人たちのもので、先取りを重ねた自分は周りから勉強量で殴られずるずると落ちていくものだと思い込んでいた。

受験が終わり腑抜けた姿に思うものがあったのか、親からバイトをしろとの圧力がかかっていたのも気を重くさせた。今まで塾なり学校なりに頼り切って受験をしてきた我が身、宅浪にバイトまで課せられては少なくとも医学部への進学は望めない。(予備校に通いつつ働くのは不合理である)

 

なんだかんだで合格していたから、前日にパラドゲーなどしていたことも全て正当化されその時から今現在までタスク以外にはほとんど悩まされず今こうやって気分よくブログを打ち込んでいる。あのような期間は2度とごめんである。