のど越しの良い文章

CBTまであと1週間ない。というのに自分はネットサーフィンで暇をつぶしてばかりいる。

 

もちろんゲーム、動画、漫画、イラストなどなど色々と楽しむが、一番時間を持っていくものはweb小説や掲示板などの文章である。

 

ゲームはまともに何時間も続けていると頭が疲れてくる。まともにやろうと思えばPDCAサイクルが高速回転するもの、頭の使いようではCBTの勉強をしているのと変わらない、むしろゲームの方がよく使うくらいでずっとは続けていられない。

 

CBTにどれだけ頭を使うかというと大学入試のマーク世界史くらい、と思っていたが最近の共通テストは世界史でさえ頭を使わせるようになった。

所々独自の方言があるだけでほとんどはキーワードと疾患と対応を想起するだけのCBTと同列扱いすると共通テストに失礼である。

 

動画や静画の類も、なんやかんや情報量の多いものをずっと見ていると頭のいろいろなところを使うらしく、不定愁訴的な疲労感があってこれまた何時間も続かない。

 

ただ、これが文字列となるとずっと見ていられる。幼少期からずっと親しんできて音声日本語と同じく母語であると思っている文章日本語はスルスルと頭に入ってリソースをとらず楽しめる。処理すべきキロバイト数もたかが知れている。

しかも、そのうちの特にweb小説やニュースなどは人に容易に読ませるため、そして金や高評価を引き出すことを意識した文章でありスルスルと頭に入ってくる。これは自分の中で『のど越しのよい文章』と造語して使っている。

 

この、のど越しのよい文章ばかり読んでいるうちにまとまった文量がある文庫のビジネス書なども読むのに相当な体力を持っていかれるように衰えてしまった。本業の勉強も当然文字ベースであり、いくらスルスルと喉を通るとはいえずっと読んでいると勉強用のリソースまで持っていかれて難儀することだ。