いつもの緊急事態宣言

東京と京阪神に緊急事態宣言が出て数日が経った。ツイッターを覗いていると『禁酒令』逃れに関する言及ばかりが目立つ。協力しない不届きものだとも、庶民の知恵だとも聞こえて賛否両論であるようだ。

 

初回ではこのようなことは少なかったが3回目ともなると酒豪たちの我慢が限界に達したのだろう。非常事態が長期化して常態化し、飲み会が生活必需の彼らにとっては緊急事態宣言お構い無しに飲まなければ暮らせなくなったに違いない。

 

私などは元々対人関係で消耗する性分で大学に登校する機会がほぼなくなった以上人に会いに出る機会は月1もあれば十分だが、毎週みんなで飲まないと生きている意味がない、なんて人もいる。

 

その人たちも非常時であるとか、あるいは十分な罰則かインセンティブがあるなら一時的に人と距離をとって生きることもできよう。しかし緊急事態宣言が2か月ぶり3回目(前回はかなり緩いものであったが)で、罰則もインセンティブも不十分であれば感染拡大防止に協力する雰囲気が失せるのは当然だ。

 

政府の人たちが会食を繰り返していたのも良くなかった。会食といえば全国の小中学校でも大規模な会食が連日行われているが、給食で命を繋ぐ人がいる以上仕方がない。トップが末端と苦楽を共にして成功する逸話はいくらでもある。それらは逸話に残るほどに特別なことだとは理解できるものの、この特別な(だった)事態には特別な事が必要であったろう。

 

オリンピックも無理やり何とかしてするそうだ。どうやら無人の会場と広告を世界の電波に流すだけでは放映権を十分使ったことにならないらしい。個人的には過酷な運動で命をすり減らし、外国人と物理的な接触をする選手には健康な老人を差し置いて接種すべきとも思うがやはり彼らは健全性の象徴でもあるから許されないようだ。それに選手が一人で来日するわけもない。関係者までも接種となると厳しいだろう。オリンピックの為に犠牲を強いられた人たちの不満がたまっている。

 

オリンピックの実施など関係者の皆が諦めているだろうに、誰もそのことを言い出せていない。東京オリンピックをしないことは前例があるし、水面下で中止に向けた交渉が行われていると信じている。

 

人間は学習する。わきまえて暮らしても感染拡大し、しなくても感染拡大するならわきまえない方を選ぶ。その結果として今がある。ワクチンが全てを解決するまではきっと感染拡大と医療崩壊ニューノーマル