中日-回復用宗教BGM

今日は試験が休みなのでコンビニで買った酒を飲んだ。寝酒である。寝酒は健康によろしくない、特に私の場合は脂肪肝を直撃して肝臓の数値(破壊された肝細胞の残骸の数)がまた跳ねあがるので駄目なのだが、ストレスに耐えかねた。ビールのロング缶1杯相当で気持ちよく酔えるコスパのよい我が身、寝て覚めれば元通りである。

 

このように飲酒という広義の自傷行為に走ったり、あるいは口内炎ができたり、あるいはいつもの心の澱がより強く感じられるようになったりと、試験や試験勉強やそれへのプレッシャーで少なからずストレスがかかっている。

 

こういう時には普段寺や神社に赴き、自然も先祖もネットの神も信仰する我が身でも一神教の神に頼りたくなる。キリスト教の讃美歌や聖書を題材とした曲も聴くが、こういう時(にだけ)流すのは『Im Hashem Lo Yivneh Bayis』である。旧約聖書の一節を高らかに歌い上げる曲で、歌詞の非常にざっくりとした大意は「主のもとに行うのでなければ無駄になるがイスラエルの主は寝もまどろみもしない」というものである。

 

まあその守護する範囲には入っていないのだが、そのような強大な存在があると一時認めることで力づけられるのである。さらにストレスが進めば自分も対象内である般若心経を延々と垂れ流すこととなる。宗教を都合がいい時に都合のいい所だけつまみ食いをできる、便利な世の中である。