大学の思い出:稲盛ロッカーのヌシ

今でこそソーシャルディスタンスが叫ばれているが、昔は人と人との距離を取れる場は希少だったことだ。

 

人ごみ耐性が元から弱い(この1年でほぼ完全に消えた)私は、昼休みや放課後にはロッカー室にこもることが常であった。医学科の男女比を反映してやや広めのロッカーに背もたれのないソファがいくつか置いてあり、そこで数人がいつも伸びている。私は大抵はドア前のソファに陣取っていた。無言のやりとりで各々の領分は自然と定まる。

 

売店で買ってきたモンスターエナジーなどを口にしつつ、パソコンやスマホを実家のような安心感でいじって午後に備えるのが常であった。

 

気性というべきか、人の多い場所から逃れてすみっこぐらしをする、そこまで人の多くない所のヌシとなるのが好きである。かつて河合塾マナビス、要は東進衛星の河合版、にいた時は休憩室に陣取ってセンターの理社たまに国語や英語の演習をよくしていた。受験太りは仕方ないとうそぶきつつポテチをかじりコーラを飲み、仲のいい4人組でだべりつつ勉強などしたものだ。(ひとりは京都教育大、もうひとりは酪農学園に行った)

 

自習室では占有空間が狭いこと、音に気を遣わねばならないこと、せいぜい水程度しか飲食ができないこと、そして何より隣に人がいるストレスで勉強する気になれなかった。休憩室なら多少そのあたりが崩れても問題ない。

 

稲盛ロッカーの他に、学外では高槻駅前にあるクロスパルのユーススペース(だったか)の一席を取ってするのも好きだったが、時世によりマスク必須飲食禁止となってからは行っていない。やむなく家で勉強することになって、今まで家庭に勉強を持ち込んでいなかったので親に驚かれるなどした。

 

○○ロッカーといえば懐かしきDQ9にあった川崎ロッカーの地図が思い浮かぶが、それはどうでもよい。

 

あの穏やかな稲盛ロッカーのヌシだったころの雰囲気に戻ってきてほしいものだ。