大学の歩き方:試験前の時間管理スケール

試験まで10日ほどとなり焦っている私である。一応烏丸御池のあたりにホテルを3泊1万円で取った。風呂とtoiletが別であるので非常に心地よく過ごせそうである。

 

さて、今日は試験前の特別な時間管理についてお話ししようと思う。まず、試験前でないときは週単位のスケジュールとなる。毎週の講義時間割を受領しそれに従い講義を受け、概ね決められた曜日の労働に赴き、そして毎日食べて風呂に入ってゲームして寝る、といった感じである。数時間動画やネット小説を眺めて無為に過ごしました、ということもよくあり自分自身それを許容する。

 

そして今頃になると試験まであと〇日、といった塾でよく見るようなカウントダウンが脳内で始まり日単位のスケジュールに細分化される。その一日一日でなにをするか、時間ごとにスケジュールがその破綻も織り込んで組まれる。メンタルゲージの回復の為に無為に過ごす時間も有意義であるべきものとなり、何時何分まで休憩、といった風に決められる。この1日1日ごとを1時間60分をベースに区切るスケジュールを採択すると勉強が進む進む。

 

そして試験当日、午後に試験のある日の朝に大学到着した後はそこから試験開始までの数時間を対象にした分単位のスケジュールとなる。10分で飯を買って詰め込む、3分だけ突っ伏す、14分かけてこの臓器のこの側面だけは暗記する、などと非常に細かいマイクロマネジメントが行われる。90分間の試験中も同様に分単位のスケジュールで動くこととなる。残念ながら大学受験の時によくやっていたトイレ休憩でリフレッシュする手法は使えないが、1分半だけ一旦問題から離れて目を閉じたりして発想が浮かぶことを待つこともある。

 

試験、試験、また試験の医学部暮らしである。

冷房20℃、暖房28℃、あるいは両方24℃

お題「エアコンを正しく使ってますか?」

 

エアコンの特に冷房というものは生命維持に不可欠である。部屋が暑いと人間も電子機器も悪くなる。暖房も、『冬はいかなるところにも住まる』とはいうものの寒いと不快なのでつけることとなる。

 

さて、エアコンの設定温度でよく言われるのが『冷房28℃、暖房20℃』である。とんでもないことだと思う。冷房も暖房もそれではろくに足りない。逆の、タイトルにもしてある冷房20℃暖房28℃の設定で動かし始めは丁度良い位である。最近は減ったが、汗だくで帰宅したときにエアコンを消し忘れるのを忘れていて自室にこもった体温に近しい空気が直撃したときなどは深い悔恨を覚える。

 

とはいえ流石にこの温度では冷房も暖房も強すぎ、温度差に驚いてしまうこともある。そこでここ数年は、冷暖房とも24℃の設定で運用することが多い。これくらいだと機械にも人間にもやさしい。ただ、人間は狭い部屋にこもると換気不足で参るので換気は時々行う。

 

また、睡眠時には消すべきなどとも言われるがこれは真っ赤なデマで信じてはいけない。冬は寒くてろくに寝られず、夏は暑くて眠れなくなるうえに意識を飛ばせたとしても大量の寝汗がドバドバとでて不快な思いをすることとなる。マンションに住んでいると隣室を壁に見立てて断熱したりその暖気、冷気をおすそ分けしてもらえたりするようだからともかく、新しくもない一軒家ではすぐに外気の熱が入り込む。それゆえに私はエアコンを強く強くかける。お題の文言に対する回答は『正しく使ってはいない』である。

 

これは余談だが梅雨の蒸す時期には除湿器を振り回した上でそこから出た熱をエアコンに吸ってもらうとほどよい温度で乾燥した空気が得られて心地がよい。今年に買った『コロナ』社の除湿器が今日も私の隣で頑張ってくれている。

 

 

関東平野の広さ

 東京のまちを訪れてその衛星都市まで移動したことは2回ある(浦安某所は除く)が、その2回とも関東平野の広さに驚かされた。六甲、生駒、紀伊北摂山系に相当する山が無く東京湾方面以外に放射状に市街地が広がっているのもそうだが、鉄道で移動する際の時間的な広さ、というよりは遠さは中々のものである。

 

 1回目は15歳のときに同級生と4人でスカイツリーなど見てから日光に行ったのだが、普通電車で初見では変わり映えのしない市街地を2時間ほどロングシートで延々と揺られるのには辟易としたことだ。座り心地の悪いロングシートというのもそうだが電車が遅いのである。しかもその時は課金をしなかったので各駅停車でしょっちゅう停まる。なんでも東京ではその辺の木っ端の駅でも地方ではターミナル駅に相当するほどの人入りがあるのだという。とにかく数を捌くのが大前提ということらしい。

 

2回目は某A医大を受験するために夜行バスで行き、所沢方面へ向かうのにいい所のホテルが取れず朝から相当距離の移動をすることになったのだが、西武鉄道の特急でさえそれなりに時間を取ると感じた覚えがある。まあ関西でもサンダーバードなどはその距離もあって長い間乗ることになるのだが。

 

高槻から芦屋まで40km30分、京都まで20km15分も出る新快速の感覚に慣れているとどうにも辛かったことだ。都市間移動では相応の時間がかかることは理解できるものの、都市内ではもう少し速くあってほしかった、などと思った次第である。

大学の歩き方:御苑

今日は大学の歩き方というより、『大学までの歩き方』とでもいうべき記事である。

 

弊大学は京都にありつつもJR京都駅からのアクセスが悪く、慢性的に混雑している道路をバスに揺られて30分ほどかかる。大量のリーマンと観光客に埋もれてぎゅうぎゅう詰めを我慢する30分である。

 

それを避けるために、10分少々かけて地下鉄に揺られて丸太町の駅に向かい、その南西の角から御苑を渡って東にある大学方面に徒歩で抜けることを気候のよい時にはよくした。健康な青年男性なら20分かからないので、結局はバスで渋滞に捕まっているのと所要時間があまり変わらない。


が疎な名所である。 公園としてきれいに整備され、立派な壁と建物の屋根が見えるなか、人間が少なく緑が多い都会のオアシスである。

といっても千年の都のその中枢であったから最盛期と比べれば公園になるとは寂れたという他ないだろうけれども、四季折々の整えられた自然の美を楽しめる有名極まりない名所である。要人を迎えることもあるようで、専門の警察が常に配置されていることにかつての力を偲ばせなくもない。

 

暫くすると少ない本校に登校する機会にも北西の角の今出川駅からバスで直行したり、自転車で外周を駆けたり、そもそも近くにホテルをとって御苑をスルーしたりすることも増えあまり近寄らなくなったが、それでもたまにはその風景を味わうため足を踏み入れるのであった。

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闇風呂

入浴の仕方には色々と家庭で継承されてきた流派があり、各々好きなやり方で浸かっている、または浸からないでいるものと思う。

 

さて、通信制の医学部に通い日がな一日光る画面を見て生活していると、どうしても目が疲れてくる。努めて画面を見ない時間を作ろうにも、スマホ中毒の私は意識がある限り、自転車を転がしている時は別としてもどうしてもtwitterが気になってしまう。

 

そこで私が気づき、気に入っているのは電気を消して思い切り暗くして入浴する闇風呂とでもいうべき手法である。その名の通り普通は点灯させる電気を消して入るのだ。

 

ただし浴室の室内灯を消灯しただけでは大して暗くならない。湯沸かし器の操作盤が光り、外の電灯の光が迷いこみ、廊下からも光が入るからだ。これでは明るくて闇風呂にならない。特に問題になるのは操作盤の光で、物で隠すには微妙に位置が高く、操作して光らなくすることもできない。

 

そこで、遮光性抜群のアルミホイルで操作盤と、ついでに脱衣所のすりガラス窓を覆い思いっきり暗くする手法を気に入っている。外からの光はそこまで明るくなく、それまで遮蔽してしまうと本格的に何も見えなくなるのでそのまま入れるようにしている。

 

電灯のある道路に面し、採光に配慮されてしまっている自室では実現しない暗さを簡単に実現できるのがありがたい。普段は全く仕事をしない眼の暗順応が働き、1/5世紀ばかり入った我が家の風呂であるのでシャンプーの使用も全く問題がない。こうでもしなければ使われない暗順応の仕組みの生存確認ができて妙な嬉しさがある。

 

身体のピークはすでに迎えてしまったと分からされる21歳のこの頃であるが、足腰や目が更に衰えてしまっては危険でこんなことはできないので若いうちだけの楽しみである。 そもそも一人でプライバシーが保たれた入浴自体が健康であるときの特権でありそのうち、その親が義務教育を受けているかどうかの世代の人間に世話を受けなければ垢も流せないようになってしまうだろうか。40年か50年もすれば流石に入浴介助の立派な機械ができているだろうか。